断章111


自然科学で、ある理論と別の異なる対立する理論があったとする。どちらが正しいかは実験や観測の結果によって決まる。歴史のある説と別の説の場合は史料によって決まる。実証主義である。

このような実証主義が成り立たなくとも、統計学や確率論の頻度とベイズのような対象へのアプローチの違いに起因する場合もあれば、論理学や数学における直観主義のように前提の違いによる場合もある。これらの場合、対立はそのままでなんら問題ない。無害である。

形而上学における対立の解決は、もちろん実証主義では不可能であり、かといってアプローチや前提の違いというわけでもない。では、形而上学上の理論の対立はどう調停されるのか。あるいは、どのようにして議論が進行するのか。ある説をとることのメリットと対立する別の説をとることのデメリットを並べあげて聴衆や読者に“説得”することになる。つまり、形而上学の議論は、その性格上、説得ゲームになるのである。

当然、対立の出所を突き止め、解消することができるならば、それにこしたことはない。しかし、それが仮にかなわぬとしても、どれかの陣営や派閥に必ず属さねばならないわけではなく、もっとプラグマティックで、折衷的であってもいいのかもしれない。あるいは、そのような陣営や派閥があってもいいのかもしれない。

スポンサーサイト

テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

断章110


誰でも自分自身を三人称的に表現することができる。自身を客観視し、対自化するのである。あるいは、会話の相手に、そういう効果をもたらすのである。しかし、もちろん、言明し、発話するのは当の一人称である自分自身である。これは言語と存在のレベルの差異である。これを見誤ると、つまり、言語のレベルでの、言語上の表現や、それを可能とする規約でしかないはずなのに、存在のレベルで、客観的・対自的な存在者が存在するとしてしまうと、受肉してしまうと、誰でもない誰か、自己ではない自己といった矛盾律に違反した、キメラ的に歪な、そして、混乱を招く厄介な存在者の誕生となるのである。

テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

デカルトのパズルへの解答例4


 中島義道(『人生を〈半分〉降りる 哲学的生き方のすすめ』2008、ちくま文庫、pp.136-137)によると、“我思う、ゆえに我在り”というデカルト的命題(Cartesian Proposition: CP)には推論説と直覚説があり、大前提の欠如した三段論法とみなすことや、“我思う”体験があるからには主体である“我在り”がなければならないといった議論などは推論説となるとのことである。それに対して、“我思う”と“我在り”の直観的な関係が直覚説である。そして、デカルト解釈として有力なのは直覚説の方らしい。

 しかし、中島は、直覚説には問題があるとする。すなわち、“我思う”という端的な直覚から“我在り”は出てこず、それどころか、“我思う”からは“我思う”以上の何かは出てこないので、“我思う、ゆえに我思う”となってしまうのではないかと指摘する。では、なぜ“我在り”が出てくるのか。哲学の第一原理として“我在り”をどうしても据えたいという動機がデカルトにあったのではないかと中島は推測している。

 こうして、中島の解釈による直覚説に従うと、条件文と解したCPは、“我思う ⇒ 我在り”ではなく、“我思う ⇒ 我思う”というトリビアルな同一律、またはトートロジー(同語反復)となることが分かる。そして、このとき、“我在り”はデカルトの個人的な思惑によって密輸入されたものでしかないので、当然、“我思う ⇒ 我思う”においては“我”の存在が前提とされなくてもよいということになるのである。

記事一覧

テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

デカルトのパズルへの解答例3


 カール・G・ヘンペル(竹尾治一郎・山川学訳「意味の経験論的基準における問題と変遷」、坂本百大編『現代哲学基本論文集I』所収、1986、勁草書房)は、“温度計が対象と接触しているならばC度を示す”という条件文は、前件が偽でも、つまり温度計が対象と接触していなくても真となると問題提起し、その解決のひとつとして反事実的条件法を提案する。すなわち、“もし温度計が対象と接触しているならば必ずC度を示すであろう”とするのである。

(もうひとつの解決法はカルナップの還元文を用いるものだが、“P ⇒ (Q ⇔ R)”といった形式から、また、その経験主義・検証主義的性格から、ここでの考察の範囲外である。)

 さて、これを条件文と解したデカルトの命題(Cartesian Proposition: CP)“我思う ⇒ 我在り”に応用してみよう。その際、ヘンペルは反事実的条件法に関する十分な理論がないと嘆いているが、現在の私たちは可能世界という概念を用いることができる(ヘンペル(のような人たち)が受け入れるかどうかはさておき)。すなわち、CPの反事実的条件文は“我思う □⇒ 我在り”となり、“我思う”が成り立つ(現実世界と類似した)可能世界のすべてにおいて“我在り”も成り立つとなる。このとき、CPの成立にあたって“我”の存在は前提とはなっていないかもしれないが、その代わりに“我思う”が成り立つ世界の存在が前提となっていると言える。

記事一覧

テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

しんいちゅうじ(shinichuji)

Author:しんいちゅうじ(shinichuji)
このブログの説明

検索フォーム
カテゴリ
最新記事
RSSリンクの表示
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード
QRコード
最新コメント
最新トラックバック
タグ(2012年11月の記事から)

科学 歴史 対自 一人称 矛盾 キメラ 三人称 言語 存在 体験 トートロジー 同語反復 中島義道 CP  哲学 デカルト 現在 経験 世界 事実 常識 「もの」 「こと」 日常 コミュニケーション 知覚 メタファー 認識 感覚 ゾンビ パーソナリティ Existentia ロボット Essentia  ロールシャッハ・テスト 実存 本質 自己言及 未来 懐疑 証明 風景 トマス・ネーゲル 心理学 永井均 ウィトゲンシュタイン  他者 身体 独現実論 自由意志 完了形 物理 独我論 決定論 進行形 独「いま、ここ」論 思考実験 同一性 定義 「あなた」 無人称 前人称 非人称 零人称 「場」 ライプニッツ 「この」 「いま、ここ」 可能性 哲学者 即自 俯瞰 テクノロジー 現実性 世界-属-存在 世界-内-存在 存在-内-存在 パラドックス  ハイデッガー 意識 イデア   アスペクト 仮相 実相 境界 相対主義 情報 二人称 開け ア・プリオリ 倫理 心理学者 ニヒリズム 自己反省 私の分裂 主人公 過去 記憶 自己意識 時間と空間 村上春樹 連続性 制約の原理 飛躍の原理 ソール・クリプキ クオリア 非一人称 非三人称 非二人称 思想 知能 弁証法 実在論 ウロボロス 西田幾多郎 人工知能 Twitter 物語 文学 プラトン ニコニコ動画 動画 哲学史 眺望 野矢茂樹 タイプとトークン ニーチェ アスペクト盲 ヒューム 即かつ対自 ヘーゲル ベルクソン フロイト 遠隔輸送 デレク・パーフィット レアリテート アクトゥアリテート 身体-内-存在 物語-内-存在 YouTube 言語-内-存在 Vimeo ユング 独「あなた」論 独存在論 人称-内-存在 ビンゾ 頽落 独歴史論 内言 シューメーカー 独宇宙論 世界内存在 世界=内=存在 モナド トリックスター 独科学論 パラレルワールド 独世界論 独物語論 独風景論 人工衛星 Flickr 睡眠薬 物理の試験 内界 外界 絶対矛盾的自己同一 

リンク